インドネシア/ジャカルタの生活や文化

執筆者: jakameshi

その日時代が動いた!インドネシアのバイクタクシー革命を現場から

先日酔ったついでに思い出話をしたら盛況だったのでこの場でご紹介します。

ちなみに真面目な切り口じゃないので事業研究目的の方はそのままブラウザを閉じてください。

 

東南アジアで生活していると、日本とは比較にならない速さで社会が変革していくのを感じます。

日本では失われたうん10年なんて言われていましたが、アジアでは1年ごとの変化幅がすごい。

 

課題を含みつつも変化していくジャカルタ。

筆者が上陸してからほんの数年で変化したことがたくさんあります。

 

その中でも印象的だった「あぁ…今、時代が動いたんだな…」と感じた瞬間をご紹介します。

社会を変えたアプリサービス「GOJEK」

インドネシアにいる人はもちろん、今や日本にいる人も名前を聞いたことがあるかもしれません。

 

インドネシア発の配車アプリ大手のGOJEK。

 

元々インドネシアにはOJEKと呼ばれるバイクタクシーがありました。

ただ、その都度価格交渉しなければいけなかったり、運転モラルが無かったり、必要な時にいなかったり、と不便の嵐。

その不便さに目をつけた創業者(インドネシア人のエリート)が「必要な時に、アプリ使って価格も自動計算で呼びだしゃいいじゃん」と始めたのが始まりでした。

 

まああれよあれよと広がり今ではインドネシアの都市部ではインフラと化しています。

 

バイタク以外にフードやマッサージ、掃除の宅配、トラック配車、さらには決済ポイントで経済圏まで作り始めたりと勢いは止まらず。

あらゆるところから資金も注入され、Googleも出資しています。

ついにはインドネシア発のテック企業としてシンガポールにベトナムに、と海外進出も決まったほどです。

 

しかし、今でこそインフラとして都市圏で定着しているGOJEKですが、新しいものに批判が付きまとうのは日本もインドネシアも同じです。

筆者がジャカルタに来たばかりの頃、旧体制vs新体制の構図が生まれつつあり、暴動やら喧嘩、村八分(GOJEKに参加したドライバーが他のOJEKドライバーからハブられる)などがありました。

 

以下はそんな「激動の目撃者」としての筆者の思い出話です。

 

インドネシアのアゴなしゲンさんと筆者

当時筆者は毎日OJEKで作業場まで通っていました。車を使う距離でもなく、渋滞エリアだったのでバイクの方が早かったんですね。

またジャカルタに来たばかりだったし言葉も文化もわからなかったので、せめて地元のみんなと同じ生活をして理解を深めたい、という意図もありました。

今でこそ少なくなりましたが近所のOJEK乗り場(おっさんが溜まってる)に行き、値段を決めて事務所まで乗っていく毎日。

住宅街のOJEK乗り場には毎日多数の利用者が集まります。そのため「客は均等にみんなで回す」というドライバー間でのルールがありました。

 

とはいえ、時間帯によって多頻度で会うドライバーは出てきます。

 

そんな中でも特に忘れられないのがゲンさん。

別にゲンさんという名前じゃないですが、漫画のアゴ無しゲンさんにものすごく似ていたので心の中で呼んでました。

なんというか、あか抜けきれないけど悪ぶってる感じが似ていまして…。もちろん顔もね。

 

GOJEK嫌いのゲンさん

今でも大して進歩していませんが、当時の筆者は本当にインドネシア語を理解できませんでした。

特にバイクドライバーが使うような口語は意味不明。

それでも人間、毎日のように触れていればなんとなくコミュニケーションは取れるものです。

 

「今日は雨が降りそうだから急ぐぜ、ボス。」

「もうすぐレバランだから金がほしいんだ。」

「ゲンさん、ヘルメットが臭いから干した方がいいよ。」

 

くらいのコミュニケーションは取れていたと思います。

 

さて、そんな感じで多頻度で乗せてもらっていたゲンさん。

 

彼は特にGOJEKが大嫌いでした。

 

どれくらい嫌いかと言うと、運転中にGOJEKのドライバーがいると近寄って「威嚇」するんですね。

引用:アゴなしゲンさんと俺物語(講談社)

 

待合所でGOJEKが通った時も。

 

「GOJEK haixxjjjskkakaj !!!!」

 

と、何言ってるかはわかりませんでしたが、毎日接してるんで雰囲気は伝わります。

 

多分、

 

「てめえこのGOJEK野郎、裏切りやがって!」

 

みたいなこと言ってたんだと思います。

 

当初筆者も

「GOJEK使わないの?」

的なことを聞いてみましたが、

 

「俺は男だ!(だからあんな軟弱なものは使わねぇ!)」

 

みたいに言っていました(と筆者は理解している)。

 

GOJEKとの出会い、そしてゲンさんとの別れ

さてそんなゲンさんですが別れが来ます。

 

というか、筆者がGOJEKの便利さに目覚めどんどんOJEK乗り場を使わなくなっていったんですね。

 

でも通り道は一緒だからOJEK乗り場は通るわけです。

そしてゲンさんと目が合います。

 

筆者の頭にはGOJEKのヘルメット…。

愛情とも憎しみともつかない悲しい目で一瞬だけ筆者を見て目をそらすゲンさん…。

 

あまりに気まずくて回避ルートを見つけたくらいです。

でも最初の頃はGOJEKアプリも不完全でバイクがまったく捕まらないこともありました。

 

そんな時はOJEK乗り場に行くしかない。

 

そこにはゲンさんがいます。

もちろんゲンさんとの間には事務的な会話しかありません。

 

行き先を告げ、連れていってもらい、金を払う。

芽生えつつあった友情は失われてしまったのです。

 

そしてすぐにGOJEKも進化が進み、筆者も完全にOJEK乗り場を使わなくなりました。

 

時代が動くとはこういうことだ

GOJEKは使い始めると便利便利。ほんと革命でした。あれだけ利用していたOJEK乗り場もまったく使わなくなってしまったほど。

 

でも、新しい仕組みに対応できない古いドライバーや、スマートフォンを使えない老人ドライバーは失業することもあったようですね。

 

ある日徒歩で帰宅する時にOJEK乗り場を通った時、ゲンさんの姿はありませんでした。。

 

 

時は過ぎ、さらにあくる日。

いつものようにGOJEKを呼び出しました。

捕まえた瞬間、家のめちゃくちゃ近くに既にいる。

 

不思議だなー、と思って外に出ると、なんとそこには…

 

GOJEKのヘルメットをかぶったゲンさんが!

 

「(へへっ、俺もついにこっちに来ちまったぜ、で、ボス…今日はどこに行く?)」

 

って事務所に決まってるんですが、たぶん照れ隠しでゲンさんはそんなことを言っていた気がします。

 

二人の間にはもう硬い空気はありません。

あるのはバイクと風と、アプリだけ。

 

この日、時代が動いたのです。

 

反発を超えなければ社会は変えられないのね!

かなり個人的なエピソードをご紹介しましたが、こんなことが各所で起こっていたのだと思います。

当時はマジでGOJEKドライバーがOJEKドライバーたちにボコられたり、なんてこともありましたからね。

デモも多かったし。

 

しかし、こういう反発を乗り越えていかないと社会は変えられないんですね。

最後には反発側も取り込むほどの利便性。すごいなー。

 

というお話でした。

 

でもゲンさん、途中でGOJEKからも消えたんだよな。

やっぱアプリが難しかったのかな…。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

スマホ用広告スペース

スマホ用広告案内

Adsense

こんな記事も読まれています!

-インドネシア/ジャカルタの生活や文化